スタッフ紹介
氏名 小田正志(おだ ただし)
出身 山口県
国家資格【はり師免許】【きゅう師免許】
家族 妻と子供2人(男、男)
私の自慢 第1子が産まれる際、自宅で私が取り上げました(病院に行くのが間に合わなかったためです・・)
趣味 鍼の勉強・音楽(聞くこと専門です)・家族でカフェ巡り
好きな映画 スターウォーズ ・羊たちの沈黙
◇◆院長ヒストリー◇◆
■幼少期からの私
山口県周南市で平凡なサラリーマン家庭の長男として誕生しました。
小学校時代は剣道を習い、毎日隣町まで自転車を漕ぐこと約30分。
練習もきつかったですが、この自転車も大変だったことは間違いありません。
しかし毎日の努力の積み重ねもあり、全国大会にも出場できました。
東京の日本武道館での全国大会が良い思い出です。
毎日剣道の練習三昧のお陰で、遊ぶ時間はほぼなくあっという間に、中学時代を迎えました。
中学ではバレー部に入り3年生では主将を務めたり、陸上部に入り砲丸投げでは新人戦で優勝を果たすなど、とても充実していました。
高校時代は、想像し辛いと思いますが、バンドを少しかじりました。女子にモテたかったのです。
さほどモテることはありませんでしたが・・。
あとは応援団に入り応援団長として壮行会や試合会場での活動に力を入れました。
そしてここからが私の暗黒期です。
大学に一旦入学したものの、東京へのあこがれが強く親に頼み込み、結局大学を中退し、1年浪人生活へ。
それでも行きたかった大学には入れず、縁があり名古屋の大学に落ち着くことになりました。
散々好き勝手に進路を変更させてもらったおかげで、当然大学はじり貧生活。
バイトにつぐバイト生活で毎日をしのぎました。
それでも、良き友との出会い、そしてこの時、妻との出会いもあり、充実した大学生活となりました。
■東洋医学との出会い
私が働いていたのは、もともと医薬品販売の会社です。『人の役に立ちたい!』と思い入社しました。
この時仕事をする中で漢方に触れる機会があり、仕事も兼ね勉強していくうちに東洋医学が面白いことを知り、様々なご縁により、現在の鍼灸の世界へ入るきっかけとなった時でした。
しかしこの時の仕事で、あまりにも無理を重ね不規則な生活を送っていたため、体調を崩しやむなく一旦職を離れるという事態を招きました。
その後、少し休憩をした後、運よく総合職で大手メーカーに就職が決まり、サラリーマン生活復活です。
サラリーマン生活、当然大変でしたが、良い先輩方に恵まれ、とても充実した毎日でした。
ちなみに、退職した現在でも、家族で患者さんとして通院くださっている方や、何かにつけて身体のメンテナンスにきてくれたり、多くの方を紹介してくださったりと、応援してくださっている先輩が多く、独立している今だからこそ心からその応援がありがたいと思っていると同時に、良い職場だったと思っています。
しかし会社員時代は自分の心の中で東洋医学や鍼灸の世界への憧れは、常に消えることがないことにも気が付いていました。
■会社を辞めて鍼灸専門学校へ
紆余曲折の会社員生活をおくりつつも、頭の片隅には常に鍼灸のこと。
しかし現実30代になり結婚もしていました。
安定した会社なのに退職してまで自分の思いを貫くべきか、もしくは思いは伏せてこのまま会社勤めをするのか、人生の進め方に迷いながらの悶々とした日々。
自問自答しつつ、鍼灸への道に行くならラストチャンスだとわかっていたにも関わらず、会社勤めの忙しさもあり、一歩を踏み出す勇気がなく、時間だけが確実に早々と過ぎ去っていく状況。
しかしどうしても自分も諦めることができず、とりあえずというか、鍼灸学校は3年間の現実を知りながらも、迷いつつ鍼灸学校の見学や願書をこっそり取り寄せていました。
といってもこの頃にはすでに心では、来年は会社を辞めて専門学校に行く!と決めていました。
しかしそんな時、妻にいつ切り出そうかと悩んでいる中、隠しておいた願書が見つかってしまい・・・。
当然大激怒されるという現実は、想像しやすいかと思います。
(実はこの頃、妻のお腹には赤ちゃんがいたのです・・・。なので反対されて当然でした)
結果、願書はゴミ箱に葬られました。
しかしそれでも鍼灸学校が諦めきれず、粘ばりに粘り生活費はバイトで何とかすることを条件に、夜間の鍼灸学校へ行くという、自分にとっては人生をかけたチャンスを掴むことができました。
この3年間は1つでも多くを吸収したいという思いも強く、鍼灸院でのバイトと、生活費を稼ぐためのバイト。
24時間があっという間の、勉強とバイト生活になりました。
■プレッシャーの連続 専門学校時代
暇さえあれば、鍼灸の本を読み漁り、バイト以外の1日の大半は、勉強に割り当てられました。
鍼灸の専門学校はこの学校の試験を通過し、卒業前試験に合格しない限り、国家試験の受験に到達することができない仕組みになっています。
夜間の学校ということもあり、同じクラスには若い子もいれば、70代の人生の大先輩など様々な年代のクラスメイトと、日々切磋琢磨し、鍼灸への見聞を深めていました。
夜間部はいろいろな事情がある人も多く、勉強も決して楽ではなかったためクラスの何人かは、志半ばで学校を途中で去っていきました。
自分もいつそうなってもおかしくないと心では明日は我が身と思い、何とか必死に毎日勉強に取り組みました。
初めての分野で、なかなかコツがつかめず、特にお灸の実技では不器用な分、苦労しました。
そして専門学校3年目ともなれば、おのずと国家試験へのカウントダウンが始まります。
このままで本当に国家試験は受かるのだろうか?その前に本当に受けさせてもらえるだろか?試験に落ちたら離婚されるだろうな・・という不安。
それに加えて30代になりどんどん暗記力が低下してきているというあせる現実。
毎日の妻からの無言の圧。
時間が足りず、心身ともに疲れ果て、心折れる日もありましたが、この苦しい時を経て、晴れて合格した時はさすがに泣きました。
そしてもう一つ、専門学校時代に忘れられないのが、自分にとって初めての”鍼灸の師匠”と出会いがありました。
専門学校時代、”神の手を持つ鍼灸師”と言われる天眞道 佐伯気功鍼灸院の院長、佐伯顕行先生との出会いです。
まだ学校に入ってから間もない時でしたが、佐伯先生の授業での話しにすっかり夢中になり、鍼灸師の免許もとれていないどころか、鍼灸についてのいろはもわかっていない時から、何とかお願いして、先生が独自開催されていた勉強会に聴講生として入ることになりました。
ここでの勉強会は経絡治療に特化しており、難しいけど奥が深くてとにかく勉強会が待ち遠しく、毎月片道1時間半かけて通い、鍼の世界について多くを学びました。
(ここでお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、当院の院名は、この師匠の院からいただいたものなのです。)
この鍼灸学校時代に、私生活では息子も産まれ生活は目まぐるしくも、毎日が時間との闘いで鍼灸師になるべく国家試験の勉強は人生の中で最も勉強した期間となりました。
■ついに鍼灸師へ。そして独立
無事国家試験も突破し鍼灸師になり、最初は様々な治療院を掛け持ちと、往診なども続け、いつか自分の院を持つことを夢見て、鍼施術の技術磨きに力を注ぎました。
この時にお世話になった多くの院の院長とは今も情報交換をしたりと、良い関係を続けてこれています。
また現在も、当院がお休みの日はこの頃にお世話になっていた所に、月2回、往診で伺っていいます。
これは私自身が初心を忘れないようにするためであり、鍼灸師として駆け出しの頃から励まし続けてくださった方々への恩返しと思い伺っています。
そして晴れて、小さいながらも院を構えれたのは免許取得後、6年目。
最初は夢いっぱいでしたが、現実はあまり贅沢できる状況ではなかったので、自分のできる範囲で院を構えることになりました。
それでも院が持てたことの喜びの方が大きかったです。
当然院を自分で構えれば、大変なことも事実あります。
それこそ1年目は半日は往診や他の鍼灸院でアルバイトをしながら、そして午後から開院という流れで何とか稼働しました。
2年目からは思い切って1本立ち。
それでもまだこの頃は、当然あやふやな経営状態で、その月の支払いを稼ぐのに精いっぱいでした。
幸い妻が会社員だったこともあり、自分たちの最低限の生活だけはできましたが、店にかかる支払いと、生活費が大きくのしかかり本当にもうだめだ・・店をたたもう。と何回も夫婦で話していたり。
しかし来ていただいている患者様を放り出すのも施術家として無責任すぎてできず、ごまかしながら耐え忍びました。
そしてようやく5年目あたりからやっと安定して患者様にも来ていただけるようになり、”予約がなかなか取れなくて困る”という声がちらほら聞こえるようになり、現在に至ります。
まだまだ駆け出しの院ですが、始めはコンビニよりも多く存在すると言われる業界で、3年続けば安泰という言葉に、不安が襲いかかってくる日々もありましたが、多くの皆様に支えていただけたことが今に繋がっています。
そのためにも私自身が施術への情熱と、技術研鑽を怠らずにいなくてはという思いで毎日施術をさせていただいております。
■開院してみて振り返ると
改めて、鍼灸の世界は自分自身が思い切り打ち込めると心から思えた、私にとってのかけがえのない場所です。
そしてこれこそが「自分自身が人様のお役に立てることができる!」と実感し、ぶれない軸です。
私の考える理想の施術は、鍼灸師だけに任せるのではなく、また逆に、患者様だけが苦しむのではない、お互いが理解しあい、患者様と鍼灸師の二人三脚で元気な身体を目指すことです。
そのため、信頼関係もできないうちに一回の施術で何とかしてほしいという方は、当院はあまり向いていないかもしれません。
(勿論、沢山通ってくださいという意味でもありません)
是非これからも一人でも多くの方に、鍼のすばらしさを知っていただき、辛い状況から抜け出すことのお手伝いをさせていただけたらと思っております。