スタッフ紹介

院長:小田 正志

院長:小田 正志

資格
はり師(国家資格)
資格
灸師(国家資格)
出身
山口県
家族
妻と子供2人(男、男)
私の自慢
第1子が産まれる際、自宅で私が取り上げました(病院に行くのが間に合わなかったためです・・)
趣味
鍼の勉強・音楽(聞くこと専門です)・家族でカフェ巡り
好きな映画
スターウォーズ ・羊たちの沈黙

幼少期からの私

幼少期からの私

山口県周南市で平凡なサラリーマン家庭の長男として誕生しました。
小学校時代は剣道を習い、毎日隣町まで自転車を漕ぐこと約30分。
練習もきつかったですが、この自転車も大変だったことは間違いありません。
しかし毎日の努力の積み重ねもあり、全国大会にも出場できました。東京の日本武道館での全国大会が良い思い出です。
中学ではバレー部に入り3年生では主将を務めたり、陸上部に入り砲丸投げでは新人戦で優勝を果たすなど、とても充実していました。
高校時代は応援団に入り応援団長として壮行会や試合会場での活動に力を入れました。
そしてここからが私の暗黒期です。
大学に一旦入学したものの、東京へのあこがれが強く親に頼み込み、結局大学を中退し、1年浪人生活へ。
それでも行きたかった大学には入れず、縁があり名古屋の大学に落ち着くことになりました。
散々好き勝手に進路を変更させてもらったおかげで、当然大学は、じり貧生活。バイトにつぐバイト生活で毎日をしのぎました。
それでも、良き友との出会い、そしてこの時、妻との出会いもあり、充実した大学生活となりました。

東洋医学との出会い

東洋医学との出会い

私が働いていたのは、もともと医薬品販売の会社です。
「人の役に立ちたい」と思い入社しました。
この時仕事をする中で漢方に触れる機会があり、仕事も兼ね勉強していくうちに東洋医学が面白いことを知り、様々なご縁により、現在の鍼灸の世界へ入るきっかけとなった時でした。

しかしこの時の仕事で、あまりにも無理を重ね不規則な生活を送っていたため、体調を崩しやむなく一旦職を離れるという事態を招くことに。
その後、少し休憩をした後、運よく総合職で大手メーカーに就職が決まり、サラリーマン生活復活です。

サラリーマン生活、当然大変でしたが、良い先輩方に恵まれ、とても充実した毎日でした。
退職した現在でも、家族で患者さんとして通院くださっている方や、多くの方を紹介してくださったりと、応援してくださっている先輩が多く、良い職場だったと心から思っています。

しかしそんな会社員時代も、自分の心の中で東洋医学や鍼灸の世界への憧れは、常に消えることがないことにも気が付いていました。

会社を辞めて鍼灸専門学校へ(プレッシャーの連続・・)

会社を辞めて鍼灸専門学校へ(プレッシャーの連続・・)

紆余曲折の会社員生活をおくりつつも、頭の片隅には常に鍼灸のこと。
しかし現実30代になり結婚もしていました。
安定した会社なのに退職してまで自分の思いを貫くべきか、もしくは思いは伏せてこのまま会社勤めをするのか、人生の進め方に迷いながらの悶々とした日々。

どうしても諦めることができず、こっそり鍼灸学校の見学や願書を取り寄せていました。
しかしそんな時、妻にいつ切り出そうかと悩んでいる中、隠しておいた願書が見つかってしまい・・・。
当然大激怒されるという現実は、想像しやすいかと思います。
(実はこの頃、妻のお腹には赤ちゃんがいたのです・・・。なので反対されて当然でした)結果、願書はゴミ箱に葬られました。

しかしそれでも鍼灸学校が諦めきれず、粘りに粘り生活費はバイトで何とかすることを条件に、夜間の鍼灸学校へ行くという、自分にとっては人生をかけたチャンスを掴むことができました。

この3年間は1つでも多くを吸収したいという思いも強く、鍼灸院でのバイトと、生活費を稼ぐためのバイト。
暇さえあれば鍼灸の本を読み漁り、24時間があっという間の、勉強とバイト生活になりました。

夜間の学校ということもあり、同じクラスには若い子もいれば、70代の人生の大先輩など、様々な年代のクラスメイトと日々切磋琢磨しました。
勉強も決して楽ではなかったためクラスの何人かは志半ばで学校を去っていきました。
そのため自分もいつそうなってもおかしくないと、何とか必死に毎日勉強に取り組んでいたのが事実です。

そして専門学校時代に忘れられないのが、自分にとって初めての”鍼灸の師匠”との出会いです。
“神の手を持つ鍼灸師”と言われる天眞道 佐伯気功鍼灸院の院長、佐伯顕行先生との出会いです。
実は免許も取れていないどころか、鍼灸についてのいろはもわかっていない時から、何とか先生にお願いし、独自で開催されていた勉強会に聴講生として入ることになりました。
毎月片道1時間半かけて通い、鍼の世界について多くを学びました。
(当院の院名は、この師匠の院からいただいたものです。)

そして専門学校3年目、いよいよ試験の年。
このままで本当に国家試験は受かるのだろうか?試験に落ちたら離婚されるだろうな・・という不安。
「そもそも学校の試験受かって国試、受けれるの?」本当に不安だらけでした。
毎日の妻からの無言の圧。
時間が足りず、心身ともに疲れ果て、心折れる日もありましたが、この苦しい時を経て、晴れて合格した時はさすがに泣きました。

独立、そして苦労の時代

独立、そして苦労の時代

無事国家試験も突破し鍼灸師になり、最初は様々な治療院を掛け持ちと、往診なども続け、いつか自分の院を持つことを夢見て、鍼施術の技術磨きに力を注ぎました。

晴れて、小さいながらも院を構えれたのは免許取得後、6年目。最初は夢いっぱいでしたが、現実はあまり贅沢できる状況ではなかったので、自分のできる範囲で院を構えることになりました。
それでも院が持てたことの喜びの方が大きかったです。

1年目は半日は往診や他の鍼灸院でアルバイトをしながら、そして午後から開院という流れで何とか稼働しました。
2年目からは思い切って1本立ち。それでもまだこの頃は、当然あやふやな経営状態で、その月の支払いを稼ぐのに精いっぱいでした。

幸い妻が会社員だったこともあり、自分たちの最低限の生活だけはできましたが、院にかかる支払いと、生活費が大きくのしかかり本当にもうだめだ・・院をたたもう。と何回も夫婦で話していたり。
しかし来ていただいている患者様を放り出すのも施術家として無責任すぎてできず、ごまかしながら耐え忍びました。

そしてようやく5年目あたりからやっと安定して患者様にも来ていただけるようになり、「予約がなかなか取れなくて困る」という声がちらほら聞こえるようになり、現在に至ります。

まだまだ駆け出しの院ですが、始めはコンビニよりも多く存在すると言われる業界で、3年続けば安泰という言葉に、不安が襲いかかってくる日々もありましたが、多くの皆様に支えていただけたことが今に繋がっています。

改めて、鍼灸の世界は自分自身が思い切り打ち込めると心から思えた、私にとってのかけがえのない場所です。
そしてこれこそが「自分自身が人様のお役に立てることができる」と実感し、ぶれない軸です。

私の考える理想の施術は、鍼灸師だけに任せるのではなく、また逆に、患者様だけが苦しむのではない、お互いが理解しあい、患者様と鍼灸師の二人三脚で元気な身体を目指すことです。
そのため、信頼関係もできないうちに一回の施術で何とかしてほしいという方は、当院はあまり向いていないかもしれません。
(勿論、沢山通ってくださいという意味でもありません)

是非これからも一人でも多くの方に、鍼のすばらしさを知っていただき、辛い状況から抜け出すことのお手伝いをさせていただけたらと思っております。

当院 第2章の幕開け

当院 第2章の幕開け

2025年1月当院は、移転しました。
といっても旧店舗からは道路を挟んだすぐ目の前辺りの場所です。
それでも一社駅からは徒歩約1分。専用駐車場も2台準備できました。
やっと当院も少しずつ軌道に乗り始めていたタイミングでの急な移転。
正直迷いました。

そして移転してみて、初めての治療院を持てた時とはまた一味違った、心の思いが出てきました。
初めての店舗は自分の思いだけを押し込めたいわば「自分本位の治療院」でした。
今回移転の院は、今まで治療院に来てくださった方々の事を思い描きながらの治療院づくりとなりました。
施術室は完全個室にこだわり、少しでもリラックスして施術を受けていただけるよう心がけました。

自分自身もこれを機に、再度初心に戻り頑張ろうと強く誓いました。
これからも改めてどうぞよろしくお願いいたします。

私の施術に対するより詳しいこだわりや、17年間続けている朝の鍛錬の裏話などは、【私のはり技術への思い】のページに詳しく書きました。ぜひこちらもご覧ください。

家族だけが知る、院長の影の努力

── 東洋医学が教えてくれた、朝6時半の17年間 ──

少し裏話をさせてください。
これは受付である私(院長の妻)だから知っている話です。
院長には、鍼灸の専門学校に通い始めた頃から今日まで、一日も欠かしたことのない習慣があります。
それは、毎朝6時半になると、院長は約15〜20分間、誰もいない部屋に籠ります。
この時は絶対に部屋に入ってはいけない。というルールになっています。
そこでは集中して、指先の感覚を研ぎ澄ます鍼の練習を行っているそうです。

これを院長は17年間、一日も休まず続けています。

なぜ6時半なのか。最初の師匠からこう教わったからです。
「朝の5時から7時の間は、気が最も満ちる時間。この時間に修行するのがよい」と。院長はその教えを、愚直に守り続けています。

熱があっても。子どもが小さい頃、私が助けを必要としていた朝も。出張で早起きの日も。
この時間だけは、一度もこの習慣を崩しません。

口下手で、自分のことをあまり語らない人です。
でも家族ですら踏み込めないあの20分間こそが、患者様への誠実さそのものだと私は思っています。

(院長の妻・受付 清恵より)

受付 小田 清恵

受付 小田 清恵

出身
愛知県
資格
保育士
趣味・今ハマっていること
神社巡り、カフェ巡り、美味しいパンや巡り、占星術(ビギナーです)

受付を担当しております小田 清恵と申します。
施術資格はまったくありませんが、受付で「明るく、心は軽やかに」をモットーに日々奮闘しております。

競泳一筋の青春時代

競泳一筋の青春時代

私には2歳上に1人兄がいます。
そのため比較的活発な女子として育ちました。
幼少期は活発というよりおてんばすぎて、両親はとにかく大変だったと思います。
幼稚園の時は園の門をよじ登り、それが倒れてしまい顔面から落下し、額を数針縫いました。
また藤棚によじのぼり実を取ろうとしたところ、これも落下し、腕の骨を数本骨折。
とにかく、自分の子供にはしてほしくないことをこれでもかとやっていたタイプです。

しかし反面、小学校入学前は身体が弱く大半を自宅で過ごしました。
そのため身体を鍛えるということで、スイミングに入ったことをきっかけに、頑丈な身体を手に入れ、スポーツ少女へ成長しました。

小学校3年生から代表選手として様々な場所に遠征に行き始め、中学時代には全国大会に出場し優勝。
あの平泳ぎで史上最年少五輪金メダリストに輝いた選手とも、同代表チームとして同じ大会に出場した経験があります。

競泳生活は大学2年生まで続き、私の青春はすべて水の中にあったといっても過言ではありません。

旅行会社17年・2度の出産・そして転機

旅行会社17年・2度の出産・そして転機

競泳引退後は、海外旅行の魅力にとりつかれ、大学卒業後は縁あって旅行会社に入社。
国内・海外の添乗や企画・手配・受付業務などを経て、約17年間充実した会社員生活を送ることができました。
「海外や国内のいたる所に行けていいね」とよく友人からは言われましたが、仕事となれば話は別。
常に新しい場所でのプレッシャーはかなりありました。
それでも多くの良いお客様に出会い、人生でかけがえのない体験ができた時間でした。
今でもこの頃のお客様とは懇意にさせていただいており、社会人としても育てていただいたと思っております。

その後、2度の出産を経て、40歳手前で仕事と育児のキャパオーバーに。
この時、食べ物の味がわからなくなったり、夜眠れないことが頻繁に起こり、身体が悲鳴をあげ始めていることに気が付きました。
一度自分をリセットしてみようと、迷いながらも思い切って退職を選びました。
40歳前後で身体も含め女性は人生の流れが変わると言われますが、まさにその通りでした。

保育士資格の取得、そして現在

保育士資格の取得、そして現在

退職後は当院の受付として働き始めましたが、「受付だけでなく、もっと人の役に立てることを」と探していた時に思いついたのが、保育士資格の取得でした。
お子様連れの患者様のお子さんをお預かりできたら、と思ったのがきっかけです。

全くの畑違いでしたが、猛烈に勉強して保育士免許を取得しました。
子育て中に保育園の先生の存在に何度も救われた経験があるからこそ、その恩をどこかでお返ししたいという思いもありました。
現在は院が始まる前の早朝だけ、保育園でも働いています。

私自身、2人の子供の母です。
子育てしながら仕事ができる現在があるのは、いつも周りの人に支えていただいた賜物だと思っております。

当院にお子様と一緒にご来院の際には、少しでもお子様のために、また親御様のお役に立てるよう努めてまいります。
日々のストレス、育児のちょっとしたイライラ、人にはなかなか言えない愚痴、何でも気軽にお話しくださいね。
(もちろん育児以外のお話しでも)
笑顔でご帰宅される姿を見ることが、私の一番のモチベーションです。

(現在お子様の見守りお預かりは、スペースの関係上、停止しております)

当院が初めての方 初回限定価格

※通常コース:2回目以降は7,700円(税込)となります

※土曜・祝日は営業しております。

ご予約・問い合わせ先

はりきゅうルーム恵眞道